貝瀬斉の「世の中は学びに溢れてる」① 具体と抽象の行ったり来たり
どのようにアイディアを生み出し、画期的なイノベーションを起こすか。必要なのは徹底的な効率視点のみならず、客観的な視点や鳥瞰的な視野などの「寄り道」も必要なのではないか。「世の中は学びに溢れてる」ことをあらためて認識してみよう。
TEXT:貝瀬 斉(Hitoshi KAISE:ローランド・ベルガー)
今回連載を担当させてもらうにあたり、簡単に自己紹介したい。筆者は現在ローランド・ベルガーというドイツにグローバル本社がある戦略コンサルティング会社にいる。かれこれ20年以上、モビリティ産業において、完成車メーカーやサプライヤー、商社、経済産業省、国土交通省などに対して、コンサルティングサービスを提供している。元々は、小学校6年で初めてF1をテレビで観てレーシングエンジンの開発者を志し、大学はソーラーカーをやれるという理由で志望校を選び、大学院ではトロイダルCVTの研究に没頭し、最初に入った完成車メーカーではパッケージのエンジニアリングに従事するという、技術大好きなカーガイである。
今回、連載のテーマとして「世の中は学びに溢れている」を選んだ。これは筆者自身が日頃から強く感じていることである。重要なのは、一見関係なさそうなことでも、抽象化することで示唆を見出し、それを自分の業務に直結する具体的な学びに繋げる、ということである。目先の目的に過度に縛られてしまうと、具体レイヤーに留まったままで飛び感のある発見が得にくくなる。A:何事にも好意的な興味を持って接してみること(具体レイヤーで別の領域に触れてみる)、B:そして自分なりに解釈して本質的な意味を見出すこと(抽象レイヤーに昇華する)、C:それを自分事に当てはめてみること(具体レイヤーで自分の領域に落とし込む)で、いつもと違う切り口のアイデアを発掘することができる。これを「具体と抽象の行ったり来たり」と表現したい。
例えば、筆者は40代になって初めて、乃木坂46というアイドルに興味を持った。最初は楽曲やパフォーマンスがなんとなく目に留まった程度であった。そのうちアートワーク展に足を運んでみると、展示されていたCDジャケットの膨大なボツ写真を観て、「絶対的に正しいというのが判断できないクリエイティブにおいて、何をもってベストなものを選ぶのか?」「どこまでやれば合格と判断できるのか?」という疑問が湧いてきた。それを契機に、クリエイティブディレクターの方との接点も積極的に広げて対話する中で、この問いに対するひとつの答えとして、「最後は主観、でもその主観が独りよがりではなく、自分と同じように魅力を感じたり楽しんでくれる仲間の顔が思い浮かぶかどうかが決め手」というものに辿り着いた。そこから、筆者自身が業務としている戦略策定において、正しい戦略を考える際に、この考えを都度意識するようにした。
もし乃木坂46を「アイドルの話なんて戦略コンサルティングと関係ないよ」と興味を持っていなかったら、こうした学びを得ることはなかっただろう。そうかといって、別にこうした具体的な学びを最初から目的として乃木坂46に触れてみたわけでもない。ただ日常でいろんなものに触れ、自分なりにその意味を考える中で、結果的に学びが得られる、ということである。そこで重要なのは、触れるいろんなものに対して、好意的に接する、ということである。批判的な見方、マウントを取るような接し方では、そもそも深掘りしてみようというモチベーションが湧かない。色眼鏡を掛けず、先入観を持たず、まずは自分自身が幼少期のように素直であることが、実は大切だと思う。
なぜこのようなテーマを取り上げようと思ったのか。それは昨今、過度な目的志向により、視野を広げる機会を逸していると感じることが多いからである。近年、タイパなる言葉ももてはやされている。タイムパフォーマンス、つまり同じことをいかに短い時間で済ませることができるか。そのためには、映画も1.5倍速が当たり前。そのような高い時間効率は、多くのものに触れる機会を増やせる一方、深く触れたり想定外のものに触れる機会を損ないかねない。それこそが、近年日本のモビリティ産業において、世界に先駆けて日本から新たなサービスや製品が生み出される機会が限られる一因であるとも感じる。いち生活者として興味のままに道草を食い、その中で感じることやあったらいいなと思うことを大切にして、それを仕事を通じて具現化していけば、世に広く受け入れられるサービスや製品を生み出すことはできる。様々なイノベーションの型があると思うが、米国のように抜きん出た1人の起業家だけがイノベーションを起こすとは限らない。「素直な感性」と「具体と抽象の行ったり来たり」も、イノベーションを起こしうるものである。
次回以降、その具体的な着眼点や思考回路を紹介していこうと思う。乞うご期待。