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水素燃焼は進歩の途中。トヨタは特有のプレイグニッションに挑む【水素という選択肢 Vol. 9】

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水素燃焼は進歩の途中。トヨタは特有のプレイグニッションに挑む【水素という選択肢 Vol. 9】
BMW V12水素燃焼ICE|2007年に少量生産され市販車に搭載された。ポート噴射で排気量6.0ℓ、最高出力191kW(260PS)だった。現在BMWは燃料電池に水素を利用する。

水素を燃料とするICEの研究は1990年代に始まった。トヨタは燃料電池とICE燃焼の両方で水素に取り組んでいる数少ないOEMである。そのトヨタの論文をベースに、乗用車用水素燃焼ICEの現在地を探る。

<Motor Fan illustrated 211号(2024年5月)から転載。情報は当時のもの>

TEXT:牧野茂雄(Shigeo MAKINO) PHOTO&FIGURE:Toyota/BMW/牧野茂雄

トヨタが水素ICE搭載のレース車両を実戦投入して以降、水素へのメディアの注目度は一気に高まった。豊田章男氏は日本自動車工業会の会長として「CN(カーボン・ニュートラリティ)への道はひとつではない」「敵はエンジンではない。CO2だ」と世の中に問いかけた。その、道はひとつではないという中に水素を燃料として燃やすICEがあった。

1990年代から始まった水素ICEの研究

BMWが水素燃焼の研究を公表したのは1990年代末期であり、2007年には少量生産ながら水素ICE搭載の乗用車「ハイドロジェン7」をリース販売した。上のCGがそのときの水素ICEであり、公式に内部構造を披露した唯一の画像である。

一方トヨタは、2014年にFCEV(燃料電池電気自動車)「MIRAI」を一般ユーザーに向けて発売した。筆者が知る限り、トヨタグループ内で水素ICEの研究が始まったのは2000年代である。まだ市販車への搭載には至っていないが、レースを開発現場に選び衆人環視のもとでかなりオープンな開発を行なっている。

ポート噴射(PFI)で水素を噴く場合、前のサイクルの燃焼済みガスの掃気をうまくやらないとシリンダー内に高温のまま残る。そこに空気と混ざった水素が流入すれば、プラグ点火される前の吸気行程で勝手に着火してしまう。これが水素特有のバックファイア(プレイグニッションの一種)である。
筒内残留ガスが引き起こすバックファイアをなくす対策として、筒内への水素直接噴射(DI)がある。DIでは空燃比や点火時期、バルブタイミングなどをさまざまに変化させても最高負荷までバックファイアの発生が見られなかったという。希薄燃焼ではバックファイアの可能性が増える。

トヨタは水素ICEのデータをあまり公表していない。ただしグループ内の知見も動員した論文はいくつか出ている。その中から自動車技術会論文集54集(2023年1月)に掲載された「水素エンジンにおける異常燃焼の発生メカニズムの解析」を紹介する。

水素=H2をどう使うか。大気中のCO2(二酸化炭素)をDAC(ダイレクト・エア・キャプチャー)により捕捉し、ここから炭素だけを取り出し、これに再エネで水を電気分解して得た水素を結合させて燃料にするのがe-Fuelであり、水素利用の手段のひとつだ。DACおよび分解・結合にエネルギーを使うが、そのエネルギーも再エネや水力発電(あるいは原子力?)でまかなえば事実上のCNである。もちろん、電気分解水素をそのままFC(フューエル・セル=燃料電池)で使うこともできる。

当然、水素はICEで燃やすこともできる。我われの身近なところにあるガソリンや軽油、メタンを主成分とする天然ガスといった燃料はすべてC(炭素)とH(水素=H2)の化合物であり、これを空気中のO(酸素=O2)と混ぜて燃焼させた場合のエネルギー源は水素。ならば水素だけを使えばいいではないか。Cがないから副産物としてのCO2は発生しない。

水素が引き起こす様々なプレイグ

しかし、水素は扱いが厄介だ。まず、着火しやすい。ガソリンは簡単には着火しない。MIG(最小点火エネルギー)は0.25mJである。ガソリンICEに点火プラグが付いているのは、外から着火に必要なエネルギーを与えるためだ。水素のMIGは0.02mJ。ガソリンの12.5分の1だ。半面、ひとたび着火すると火炎速度は2.65m/sとガソリンの5〜6倍も速い。

ガソリンICEの性能を追求し圧縮比を高めてゆくと、圧縮工程の途中で、まだ点火プラグが作動していないのに着火してしまうプレイグニッション(以下=プレイグ)への対策が必要になる。ガソリンにはイソオクタン(C8H18)のように高圧状態でも燃えにくい成分が入っているのだが、それでもプレイグは起きる。燃えやすい水素ではなおさら、である。

水素は火が着きやすい|上のふたつのグラフは通常燃焼とプレイグの比較。吸気行程の途中でプレイグが起きると本来の燃焼が行なわれない。したがってパワーを得られない。また、異常燃焼は筒内圧を極端に上昇させ、トラブルの原因になる。これは通常のICEと同じである。
上のグラフは点火プラグの電極温度比較。ハイオクガソリンICEと比較しても水素ICEの熱面着火温度は約200℃低い。その理由は水素の熱伝導率の高さで混合気温度が上昇しやすいためと推測される。したがって「暴走型プレイグ」の予防策は、燃焼室内の高温になりやすい部分の冷却である。

バックファイア

トヨタとデンソーの技術陣は論文の中で、水素ICEで確認された主要なプレイグを着火現象から大別し「バックファイア」「暴走型プレイグ」「発散型プレイグ」「噴射同期プレイグ」の4つに分類した。

まず「バックファイア」は、水素を吸気ポート内に噴射するPFI(ポート・フューエル・インジェクション)で起きる。ピストンが下降する吸気工程中に「筒内に残った高温の燃焼済みガス」「筒内の高温物」「異常放電」によって起きるという。バックファイアが起きると、ピストンが圧縮端まで上昇しても、本来起こるはずの燃焼が起きない。

対策としては「高温の筒内残留ガス」の温度を下げるEGR(排ガス再循環)や空気量を増やすリーンバーン(希薄燃焼)を挙げている。また、水素を筒内直噴するDI(ダイレクト・インジェクション)を使えば残留ガスと新気が混ざって温度が低下したところに水素を噴けるためバックファイアには有効という。ただし、欧州のESP(エンジニアリング・サービス・プロバイダー=開発支援会社)は「DIにすると別の問題が出てくる」と言う。

直噴のメリット|このグラフはバックファイア発生率比較。ポート噴射(PFI)ではBMEP(正味平均有効圧)0.5未満でもバックファイアが起きる。DI特有の難しさは当然あるが、瞬発力が求められ急激な負荷変動にさらされる乗用車用の水素ICEでは、DIが有効だという理由になる。

暴走型プレイグ

2番目の「暴走型プレイグ」は、何らかの理由で発生したプレイグ(あるいはバックファイア)が続き、サイクルごとに急速に早期化して筒内最高温度が上昇し、過大な筒内圧が連続して発生するという現象だ。可視化ICEで検証したところ「点火プラグの高温部で熱面着火する様子が見られた」という。高圧縮比のガソリンICEでもプラグ電極がホットスポットになってプレイグが起きることがある。
 
対策として「点火プラグの高温になりやすい部品の冷却性を向上し、熱面着火に至らない温度に抑える」ことを挙げている。これはOEM(自動車メーカー)だけでは対策できない。水素ICEの筒内環境に特化した点火プラグをプラグメーカーと共同開発するしかない。

発散型プレイグ

著者
牧野 茂雄
テクニカルライター

1958年東京生まれ。新聞記者、雑誌編集長を経てフリーに。技術解説から企業経営、行政まで幅広く自動車産業界を取材してきた。中国やシンガポールなどの海外媒体にも寄稿。オーディオ誌「ステレオ時代」主筆としてオーディオ・音楽関係の執筆にも携わる。

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