「突き抜ける手段としてのAI」を駆使して「ぶつからないクルマ」を次のステップへ【AD/ADASの現状をおさらいする Vol. 11】
スバル最初の市販車向けプリクラッシュセーフティシステムは1999年9月に世の中に出た。すでに24年前であり、この間にシステムは収れんされステレオカメラを使うものに落ち着いた。次のステップはステレオカメラとAIの連携であり、開発は着々と進められている。
TEXT&PORTRAIT:牧野茂雄(Shigeo MAKINO) FIGURE:SUBARU
先駆者の苦悩:安価な装備で事故を未然に防ぐ
スバルが衝突を未然に防ぐPCS(プリ・クラッシュ・セーフティ)の領域でADA(アクティブ・ドライビング・アシスト)の開発に着手したのは1998年だった。それ以前にはPCSブレーキの評価を行なっていたが、正式にADAとしての実用化を発表したのは1999年5月である。このときすでにステレオ画像センサー(カメラ)の使用をうたっていた。
「ADAは苦労した。アイサイトも最初は売れなかった。売れ始めたのは装備価格が10万円になってからだ」。長年ADAの開発に携わってきた柴田氏はこう言う。筆者が最初に柴田氏に会ったのは、もうずいぶん前のことだ。いまではほかのOEM(自動車メーカー)が「アイサイトのおかげで安全装備が売れるようになった」と言う。その意味では先駆者だった。
筆者が覚えているのは独・コンチネンタルのシステムを使ったボルボのシティセーフティが日本で先に国交省の承認を得たことだ。国内発売はアイサイトのほうが早かったが、スウェーデン国王が「うちの国にはこういうクルマがあります」とPRしたことで外務省から突っつかれた国交省が動いたのだ。それまで国交省は「衝突直前に自動的にブレーキがかかるクルマ」を認めようとはしなかった。
スバルADAを振り返ると、2003年8月発売の第3世代システムがミリ波レーダーとステレオカメラの両方を使ったセンサーフュージョンで測距精度を上げたが、その分、頒価が高くなった。「安くしないと売れない」とADA開発チームは痛感し、以降、大胆な引き算でコストを下げにかかった。通常、開発現場は「あれもこれも」で足し算になるが、スバルは引き算に賭けた。英断だったと思う。
「10万円で買えるなら、ぶつけてしまったときのバンパー修理費と大して変わらない。技術を詰め込んで、高くなったら売れない。お客さんのニーズは『事故を防いでほしい』であり、これは変わらない。ADA第3世代に懲りて頒価3分の1を狙うことにした。だからステレオカメラ1本。最近広角カメラは追加したが、カメラ以外は使っていない」と柴田氏は振り返る。こうも言った。
「交通環境は人間が目で見て理解できるように設計されている。ミリ波レーダー用に、あちこちに反射物が仕込まれていればミリ波レーダーが有利だろう。しかし世の中はそうではない」
AIと手を組むアイサイト
そのアイサイトが、つぎはAIと手を組む。カメラとAIは相性がいいと言う。
「カメラ画像は画素ごとに情報を持っている。これをAIに学習させると『走行可能エリア』を統計的に判断してくれる。より多くのデータが集まれば統計処理としての正確さが高まる。我われはそう考えている。人間ワザより早い。いま、その統計処理をやっている。リアルな道路環境をAIに覚えさせている。大型サーバーにデータを入れてストレージ容量と計算速度をどんどん上げて学習させている」