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今だから全部話すT中研™盛衰秘話 ④「Tスー研™」の時代

福野礼一郎のTOKYO中古車研究所™ 第160回

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今だから全部話すT中研™盛衰秘話 ④「Tスー研™」の時代

「TOKYO中古車研究所」などと大袈裟なタイトルですが、私=福野礼一郎が1993年から2012年まで自動車雑誌3誌で152回連載し、多くの方に読んでいただいた連載記事のタイトルの復刻です。TOPPER編集部の依頼で11年ぶりに連載再開しますが、内容的には単なる「私的ブログ」です。TOPPERのコンテンツの中では一人浮いてると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
(このコンテンツは著者の希望でTOPPERの「総合人気ランキング」には反映されません)

(本文文字量19000字) *通常は雑誌1ページで2000〜2500字

「エフロード+T中研™」時代:東京↔︎倉敷 ランボルギーニツーリング

長いこと業界で「いい子」にしてきた福野礼一郎が本性表し、お世話になった媒体や先輩、先生方を全員裏切ってすべてをかけて打ち込んだ「クルマの神様」が大失敗。「特選外車情報エフロード」の編集長になっていた古屋 久こと古Qは、福野に裏切られて被害を被った編集者の筆頭だったのにもかかわらず、「クルマの神様」霧散後に、すでに月刊「クルマの神様」用として編集済みだったページ(50ページ分)を二つ返事で購入して、福野の所属事務所の業務を救ってくれた。その記事が2006年3月号/6月号/10月号の3回にわけて「特選外車情報エフロード」に「TOKYO中古車研究所™」という元タイトルのまま「シリーズ伝説の検証」として掲載した記事である。


福野 裏切ったのに助けてくれた。一生背中を向けて寝れない。でも出戻りゆえのみっともなさと恥ずかしさゆえ、出ていったときのあの威勢はどこにもなくて、読者の皆様に事情もなにも説明しないまま、ひっそり「特選外車情報エフロード」で「TOKYO中古車研究所™」を再開してしまいました。とにかくもうなるべく目立ちたくなかったし、どっかに消えたかった。しかし応援してくださっていた読者の皆さんにちゃんと説明しなかったのは、本当に無責任の極みだったと思います。いまさら遅いですが、この機会に読者の皆様に改めて謝罪したいと思います。すみませんでした。多くのファンの方々があのとき呆れ果てて去っていったのは当然だったと思います。あれで福野礼一郎は完全なオワコンになった。以後の私のライター人生はすべて余生です。

荒井 「特選外車情報エフロード」の「T中研™」名義の連載は、再開の2006年3月号から2007年6月号までの1年3ヶ月=16号。2007年7月号からは連載のタイトルが「TOKYOスーパーカー研究所™」=「Tスー研™」に変わるわけですが、このエフロード+T中研™時代に荒井が思い出深いのは、ムルシエラゴとガヤルド・スパイダーのランボルギーニ2台つらねて倉敷まで750kmのロングツーリングに行った取材です(エフロード2006年11月号/12月号掲載)。

「特選外車情報エフロード」2006年11月号「東京→倉敷750km合法試乗」より
著者
福野礼一郎
自動車評論家

東京都生まれ。自動車評論家。自動車の特質を慣例や風評に頼らず、材質や構造から冷静に分析し論評。自動車に限らない機械に対する旺盛な知識欲が緻密な取材を呼び、積み重ねてきた経験と相乗し、独自の世界を築くに至っている。著書は『クルマはかくして作られる』シリーズ(二玄社、カーグラフィック)、『スポーツカー論』『人とものの讃歌』(三栄)など多数。

福野礼一郎のTOKYO中古車研究所™

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