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福野礼一郎のTOKYO中古車研究所™ 第171回 | 1965年型セブンS2⑨ KAR120Cに学ぶ当時考証とオタクな小物仕立て(以後晩秋まで夏眠)

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福野礼一郎のTOKYO中古車研究所™ 第171回 | 1965年型セブンS2⑨ KAR120Cに学ぶ当時考証とオタクな小物仕立て(以後晩秋まで夏眠)

「TOKYO中古車研究所」などと大袈裟なタイトルですが、私=福野礼一郎が1993年から2012年まで自動車雑誌3誌で152回連載し、多くの方に読んでいただいた連載記事のタイトルの復刻です。TOPPER編集部の依頼で11年ぶりに連載再開しますが、内容的には単なる「私的ブログ」です。TOPPERのコンテンツの中では一人浮いてると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
(このコンテンツは著者の希望でTOPPERの「総合人気ランキング」には反映されません)

(本文文字量8750字) *通常は雑誌1ページで2000〜2500字

全員「・・・」

荒井 それにしてもTOPPERの読者の皆さんは、毎月毎月セブンの仕上げの顛末をお読みになりながら全員「・・・」ですよ。「これって一体なんの話ですか?」って感じで。

福野 有料ページで毎月購読量をいただいてるのに連載開始以来1年間、毎月自分の趣味のネタばかり。すみません。TOPPERでも浮きまくってますね。真面目な技術情報サイトなのに。ホントにこんなんでいいのかと思いながら毎月やってます。

荒井 福野さんの連載はいつの時代のどの自動車雑誌でも常に浮きまくってましたから内容が面白ければそれはそれで別にいいと思いますが、セブンはクルマとしての敷居も高いですからね。ケーターハムですらなかなか購入対象にならないとこに持ってきて、60年代のロータス・セブンともなると、なんの話をしてるのかさえよくわからない状況も多々あると思います。

福野 おっしゃる通りです。すみません。皆さんにとっては1930年代のクラシックカーの話をされてんのと同じようなもんでしょうね。なので今回は足掛け3年間のセブンの「パーツさがし」のネタをまとめてご紹介し、これにてセブンネタも晩秋まで約半年「夏眠」しようと思います。

タックスディスク製作とホルダー探し

福野 はい。こっから先はもう滅茶苦茶おたくの世界ですから、みなさんホントに読まなくていいです(笑)。私の独り言みたいなこの連載の中でもさらに独白みたいな話題ですので、読んで怒っても責任持てません。

荒井 ここでまたしても「プリズナーNo.6」の話題が登場です(イギリスBBCで1967年9月29日~1968年2月4日、日本でNHKが1969年3月2日~6月22日にかけて全17話を放送したTVのカルトドラマ)。本当に好きですねえ。

福野 クルマがでてくるドラマの中では古今東西一番好きです。

荒井 荒井もYouTubeで見ましたが、セブンS2=KAR120Cが出てくるのって毎回のタイトルの数分間だけですよね。あれのどこが一体そんなに面白いのかと。

福野 私はいつも同時代の「ボンドカー」の存在と比較しちゃうんですが、ボンドカーっていまも昔もプロモの写真を見てると確かにカッコいいけど、本編映画見ると「なんじゃこら」ってなりません? ちゃらい主人公がちゃらちゃら乗って登場して乱暴に運転してぶっ壊す余興の小道具というだけで、英国車だという以外クルマの設定にとくに意味があるわけでもないし、そもそも自動車に対するリスペクトというものが皆無ですよね。クルマの登場シーンではQの秘密兵器の説明聴きながらボンドが鼻で笑って、クルマとそれを作ったチームのことを小馬鹿にするという演出がお約束でしょ。遠回しにクルマを設計・製造している世界のすべての人間をあざ笑ってるわけですよ。

荒井 ボンドカーボンドカーって期待して本編見ると「え、出番これだけ?」っていつも思います。「クルマってのは乱暴に扱うのがかっこいいんだ」って感じだし、正直言っていつもあんまり気分が良くないです。

福野 60~70年代に日本で高級車やスーパーカーに乗ってかっこつけてた人は、大抵の場合わざとクルマを乱暴に扱ってましたね。乱暴に駐車して尻で蹴飛ばしてドア閉めて「大切に扱うなんてダサい」って感じで。あれはボンド映画の影響も大きかったと思いますよ。英国人は真逆で、通常すごくクルマを大事にするし、親からも厳しくそう言われて育ちます。だから本国ではボンド映画は「反抗的ジョーク」みたいなつもりでクルマのシーンを描いたんでしょうが、図に乗りすぎです。それも含めてボンド映画というのは本質的には「喜劇」なんですね。ショーン・コネリーは喜劇役者のレッテルを貼られるのを恐れてボンド役をやめたという説もあるそうで。

荒井 「助手席が射出座席」なんて確かに喜劇以外の何者でもないですね。アクション映画というのは基本的にはすべて喜劇であるとも言えなくもないですが。読んだことはないんですがイアン・フレミングの原作では戦前型のベントレーを愛用してる描写があると聞いたことがあります。

福野 原作ではボンドの愛車として3台のベントレーが登場してクルマ好きであることを匂わせています(1930年型ベントレー4½ℓ、1953年型マークVIオープン、マークllコンティネンタルのH.J.マリナー・パークウォード製ボディのドロップヘッド)。映画の場合でも、いつものボンドシリーズとは別の制作者が制作した2本の映画には戦前のベントレーがちゃんと登場してます。「カジノロワイヤル(1967)」という怪作には1923年型のベントレー3ℓ改4½ℓが出てきますが、これがよく走ってなかなか素晴らしい。1983年の「ネバー・セイ・ネバー・アゲイン」にもJ.ガーニー・ナッティングがコーチワークしたブラックの1937年型ベントレー4½ℓドロップヘッドクーペがボンドの愛車としてちらっと出てきました。「ネバー・セイ・ネバー・アゲイン」は、不景気と予算不足を嘆くQとのほんわかしたやり取りのシーンなどもあって、とてもいい脚本です。私はボンド映画の中では「ネバー・セイ・ネバー・アゲイン」が一番好き。

荒井 もう一度見てみよっと。

福野 話が脱線しましたが、同じ秘密諜報部員を題材にしていても「プリズナーNo.6」のストーリーはブラックです。政府機関に辞表を叩きつけて退職した諜報部員が愛車のセブンS2に乗って家に戻ると謎の組織に誘拐され、どこかの村に幽閉されて自由を奪われてしまう。全17話を通じて騙されたり騙し返したり戦ったりして、最終話でついに自力で脱出するんですが、ネタバレしてしまえば主人公を幽閉していた組織というのは味方のはずの自国政府、機密をばらさないよう辞職・退職した政府要員を片っ端から幽閉してたというオチです。つまり主人公が戦っていた相手は「女王陛下のジェームズ・ボンド」とは真逆で国家そのものだった。抽象的に描くことであえてわかりにくくしてありますが、第二次世界大戦中のイギリス国内に国家機密を知った味方を幽閉しておく秘密の村が存在したという実話をヒントにしているそうなので、間違いない。

荒井 じゃあいわゆる反体制ドラマということですか。

福野 結果的にはそうなんですが、見ているときの気分は「モンテ・クリスト伯」ですね。全17話の過程でずっと自由を拘束され精神的な虐待と拷問を受け続ける主人公は、クルマに乗って走る夢を何度も何度も繰り返し見るんですが、最後に自由を勝ち取って家に帰って自分のセブンを取り戻して運転することができる。だからあの話の中でクルマは「エドモン・ダンテスの自由の象徴」なんですよ。

荒井 最後に家に帰ってまたセブンに乗るのかあ。それはちょっといいなあ。全17話見てみたくなります。

福野 「自由」こそクルマの本質です。時刻表にもルートにもスケジュールにも縛られずにいつでも自由に好きなところに一人で走っていける。だから私は自動運転なんてもんにはまったくなんの興味もない。

荒井 筋は通ってます。

福野 「プリズナーNo.6」は主演のパトリック・マッグーハンという役者が自分で企画・製作した彼のパーソナル作品ですが、TVシリーズ ’Danger Man' (1960~68年 放題「秘密司令」/「秘密諜報員ジョン・ドレイク」)に出演していてイギリスで人気急騰していた時期に、1962年制作の007映画第1作 'Dr.NO’(邦題「007は殺しの番号」)のジェームス・ボンド役のオファーを受けて断っているんですね。

荒井 ショーン・コネリーに声をかける前ですか?

福野 そうです。’The Saint'(邦題「セイント 天国野郎」)の主演でやはり人気があったロジャー・ムーアにオファーするよりも前です(ムーアはこのときは辞退したがのちに3代目ボンドを引き受けた)。

荒井 それでボンドカーとの比較がいきなり出てきたんですね。納得しました。3人の中ではやっぱショーン・コネリーが一番ジェームズ・ボンドに似合ってますね。プリズナーの人はプリズナーのようなああいう役が合ってる。そういえばボンドカーの中で唯一福野さんが話題に出すトヨタ2000GTも、カーチェイスはするけどボンドは運転しないし、1回もぶつからないですね。

福野 そう。そこがいい。美しいまま出番は終わる。日本の諜報部員が乗っててピンチのときに2度も救ってくれるんだから、日本のクルマ文化に対するリスペクトを感じなくもない。あれをいつもみたいにぶつけたり潰したり爆破したりして唾みたいに吐き捨ててたら、みなさんそんなニタニタ笑って見てられます? 

荒井 まあクラウンは思い切り東京湾にすててますけどね(笑)。

著者
福野礼一郎
自動車評論家

東京都生まれ。自動車評論家。自動車の特質を慣例や風評に頼らず、材質や構造から冷静に分析し論評。自動車に限らない機械に対する旺盛な知識欲が緻密な取材を呼び、積み重ねてきた経験と相乗し、独自の世界を築くに至っている。著書は『クルマはかくして作られる』シリーズ(二玄社、カーグラフィック)、『スポーツカー論』『人とものの讃歌』(三栄)など多数。

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