ユーロNCAPという「権威」| 牧野茂雄の「車交箪笥」しゃこうだんす vol.21
長くやってりゃ情報ルートと人脈は築ける。
もうかれこれ40年以上、自動車を取材してきたから、
結構なネットワークを持つことができた。
あちこち掘って、あちこち探ったネタを、
私個人の分析と私の価値観でお届けします。
TEXT:牧野茂雄(Shigeo MAKINO)
1997年に始まったユーロNCAP(ニュー・カー・アセスメント・プログラム)は、当時どの国・地域でも実施していなかった衝突速度64km/hでの正面オフセット衝突試験を真っ先に取り入れた。主催は英国のTRL(トランスポート・リサーチ・ラボラトリー)だった。試験結果は世の中に公開され、「大胆な情報公開」「自動車の衝突安全性を公平に比較する価値ある試験」などと報じられた。しかし、その裏には自動車産業が没落した英国の事情があった。
クルマの安全性を実車でテストし、その結果を公表するNCAPは米国で始まった。その理由は、米国が事後認証制度という独自のルールを採用しているためだった。だれでもクルマを作って売ることができる。そのための最低限のルールがFMVSS(フェデラル・モーター・ビークル・セーフティ・スタンダーズ=連邦自動車安全基準)に明記されている。そのとおりに自動車を作れば問題ない。だから日本の型式指定のような「事前認証」はやらない。
もちろん、米国政府は「自由と表裏一体の責任」をOEM(自動車メーカー)に求める。運輸省傘下のNHTSA(ナショナル・ハイウェイ・トラスト・セーフィティ・アドミニストレーション=国家道路安全局)が市場から任意に車両を抜き取り、FMVSSを守っているかどうかの検証を行なう。もし違反があればOEMを呼び出し、試験データなどを開示させる。不正があったとNHTSAが断定すれば、署の車両の製造・輸入・販売を停止させ、不正の規模に応じて罰金を課す。
この米国FMVSS試験のうち、衝突安全性に関する部分がNCAPという「情報公開番組」になった。FMVSSに定められた規定どおりに試験を行ない、その結果を世の中に開示するのがNCAPであり、事後認証のための証拠集めという性格だったが、ユーロNCAPは米国のNCAPとは事情が違った。
欧州は1997年当時のEC(欧州共同体)加盟国でも現在のEU(欧州連合)加盟国でも、自動車の製造・輸入・販売は事前認証であり、ECまたはEUのルールによる認証が必要だ。自動車は発売前にこの認証を取得することが必須条件である。
欧州にも「米国のようなNCAPが必要」との声はあった。そこで動いたのは英国・TRLだった。1933年にRRL(ロード・リサーチ・ラボラトリー)として設立されたTRLは1990年代半ばには岐路に立たされていた。英国政府はTRLを民営化することをすでに決めたのだ。
TRLは自立しなければならなかった。そこでユーロNCAPを発案し、各方面への働きかけを始めた。そのなかで重要だったのはダイムラーベンツ(当時)とVCC(ボルボ・カー・コーポレーション=ABボルボの乗用車部門)だった。この両社は独自の交通事故調査を行ない、そこで得た知見を車両設計に反映していたためだ。
「ユーロNCAPを実施すれば、あらゆるクルマの衝突安全性が世の中の共通データになる」とTRLは両社に話を持ちかけた。両社が出した条件は「米国のNCAP同様に法規と同じ試験を行なう」だった。当時、私が関係者に取材したところ、TRL側は「法規より厳しい条件での試験実施」を提案したが、ダイムラーベンツとVCCは「その条件なら参加しない」と意思表示を行なった。
そこでTRLは「法規試験だけに絞る」「正面6対4オフセット衝突(全幅のうち運転席側の40%だけをぶつける)は56km/h(35mph)で行なう」と提案し、両社はユーロNCAP計画に協力することになった。
英国ではDOT(デパートメント・オブ・トランスポート=日本の国土交通省に相当)とRAC(日本のJAFに相当)の協力を取り付け、VCCの賛同を取り付けたあとスウェーデン運輸省の自動車交通部門である国家道路交通安全局(スウェディッシュ・ナショナル・ロード・アドミニストレーション・トラフィック・セーフティ・デパートメント)の協力も獲得した。フランス自動車省の協力も得た。
それぞれの組織に対してTRLがどのように説明したのかはわからない。当時の関係者にも取材したが、TRLからの企画趣意書を見せてもらった程度だ。もちろん、ユーロNCAPの趣旨そのものは疑念を抱くようなものではなかった。
しかし、1997年の初回ユーロNCAPは正面6対4オフセット衝突試験を法規よりも衝突速度の高い64km/h(40mph)で実施した。VCCの安全性研究担当者は「報告書が出るまでこの内容は知らなかった」のだ。TRLは両社に対し「そんな約束はした覚えがない」と言ったそうだ。確信犯である。