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自動運転のコスパを考える。タイパだけ良くてもダメじゃない?

牧野茂雄の「車交箪笥」しゃこうだんす vol.10

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自動運転のコスパを考える。タイパだけ良くてもダメじゃない?
(PHOTO:Volvo)

長くやってりゃ情報ルートと人脈は築ける。
もうかれこれ40年以上、自動車を取材してきたから、
結構なネットワークを持つことができた。
あちこち掘って、あちこち探ったネタを、
私個人の分析と私の価値観でお届けします。
TEXT:牧野茂雄(Shigeo MAKINO)

一時期に比べて自動運転は「失望期」なのだろうか。あまり前向きな話題がない。最初は盛り上がり、メディアが「明日にでも実用化」のように報じ、投資家が注目して事業資金は集まったが、6年前に取材し「2021年には実用化」と言っていた自動運転AIは、まだ完成していない。テスラは「オートパイロット」という紛らわしいネーミングでひんしゅくを買い死亡事故まで起こした。筆者が懇意にしている日本のOEM(自動車メーカー)のエンジニア諸氏は「自動運転はやめたほうがいい」とまで言い出した。

Autonomous Drive=自動運転。これにはManned=有人とUnmanned=無人があり、いまのところ後者は条約で許可されていない。Unmannedの場合、運転者はいない。すべての判断と操作は自動車に委ねられる。こういうクルマを欲しいかどうかは個人の趣向だから、そこは問わない。

自動車を運転するとき、人間が行っている操作はふたつ。「進路」と「車速」のコントロールだ。つまり、ステアリングホイールとアクセルペダルとブレーキペダル。進路はほとんどの場合ステアリングホイールで操作する。車速はアクセルペダルとブレーキペダルで管理する。

センサーを使って車間距離と車速を自動コントロールするアダプティブ・クルーズコントロールは、すでに一般的だ。ステアリング介入するレーンキープ機能も珍しくない。しかし、こうした機能にも「巧い」「下手」がある。下手クソな制御だと機能をOFFにしたくなる。自分で操作するほうがずっと巧いと思えば、そんな機能は不要だ。

自動運転が実用化される時代には、スロットル(アクセル)、ブレーキ、ステアリングはバイ・ワイヤー式になっているだろう。すでにスロットルはほぼすべて電子制御(電制スロットル=スロットル・バイ・ワイヤー=TBW)であり、ブレーキとステアリングのバイ・ワイヤー化開発も進んでいる。その中で、筆者が体験したSBW=ステア・バイ・ワイヤー搭載の試作車の話をしたい。

平坦な路面のテストコースでSWB実験車を運転した。念入りに平らにしたような良路面である。ステアリングは円形ではなく長方形で、左右の短辺がグリップになっている。手元で操作できるのは左右80度程度までであり、普通のステアリングのようにくるくる回す操舵はできない。行きたい方向にこのステアリンググリップを倒し込むような動作になる。

画像はイメージ(FIGURE:TOYOTA)

ボンネットフードを開けて驚いた。当然ながら、左右前輪を機械的に連結した操舵機構と運転席にある長方形のステアリングホイールはインターミディエイトシャフトで連結されていない。電線(ワイヤー)でつながっているだけだ。

しばらくの間は「はじめまして」のご挨拶のように、遠慮がちな運転で様子を見た。自分の手で入力した動作が前輪をどう動かすかを観察したが、「かなりクイックなレシオだろう」と思ったのは間違いだった。定常円をトレースしようが、パイロンスラロームをしようが、ねらったラインにクルマを乗せることができる。「ギヤレシオ」や「操舵反力」を変えるプログラムを呼び出して試すと、なるほど、さっきとは違うフィールだとすぐに気付く。

そもそもEPS(電動パワーステアリング)として良くできている。私自身で「これは素晴らしい」と思えたEPSは片手で数えられるほどしかない。この実験車は前輪とステアリンググリップの間には機械的な接続がなく、自分が感じている「手応え」はすべて反力モーターが人工的に作り出したものだが、違和感と呼べるようなものを感じない。

「ああ、こういうものなんだ」

少し車速を上げ0.3Gくらいの旋回をやってみた。良く曲がる。タイヤには相応の負荷がかかっているはずだが、ステアリングホイールを操作した分だけ曲がる。運転しているうちにだんだん楽しくなる。

路面がてろてろに平滑なテストコースだから旋回中に左右輪が異なる摩擦係数の路面に乗ることはなく、旋回中に路面の凹凸による反力を喰らうこともないが、その部分を差し引いたとしても「ああ、SBWはここまで来ているのか」と感心した。

(PHOTO:Shutterstock)

社名を言うとステアリング業界の方は「ああ。あそこか」とわかってしまうだろうから言わないが、SBWの制御はステアリング機能の中だけで完結しているという。駆動力だとか車両姿勢だとかの情報は取り込んでいない。シンプルだからうまく行っているのかなぁ、とも感じる。

「これはある意味で人間を知るための実験車だ。運転操作は千差万別だから、初心者から実験部のエキスパートまで、どういうステアリング操作をしているのかを知りたい。もちろん、いまの牧野さんの運転データも取った(笑)。舵角や操舵トルクなどの情報の中にドライバーの意図が込められている。運転はフィードフォワードであり、予測してステアリングを切り、しかし切り足りなければほんの少し当て舵を入れ、目で景色を見ながら進路を修正する。これを高速道路の直進時などは無意識のうちにやっている。そういう人間の動作を研究しなければ自動運転のためのステアリングなんて作れない」

以前、べつの企業でステアリング評価用のドライビングシミュレーターを操作させてもらったときも、同じことを言われた。「操舵入力と路面反力の関係、人間の操作とアクチュエーションの良好な関係」という、非常に奥の深い分野にまで踏み込んで研究をしていた。普段、自分が「操舵感」という一言で片付けている事象も、その背後にはさまざまな研究がある。

ステアリングについて言うと、操舵感はタイヤのキャラクターに大きく左右される。空気入りタイヤというものは実に良くできていて、操舵機構はタイヤを基準にして反力で返せばいい。タイヤとうまく付き合うことが操舵感のチューニングである。

「そう。タイヤをきれいに動かせばいい。それがステアリングの仕事だ。しかし、SBWではタイヤの力を見ないで運転するようなものだから、どうやればいいのだろうという迷いが出て来る。何でもできてしまうからだ」

SWB開発担当氏はこう言った。タイヤを履き替えたり、たまにフル乗車をしたりすると、同じ自分のクルマでも操舵感が変わることを認識する。荷重や路面やタイヤ銘柄で操舵感は変わる。

「現在のEPSは『タイヤなりに』操舵力を出すことができる。タイヤの摩耗や路面の変化による操舵感の変化をドライバーには伝えないという制御もできる。それが良いか悪いかは別だけれどね。SBWはそこが自由になるから、つねに同じ操舵反力で構わないという方向でコンセンサスが得られればSBWは普及するだろう」

操舵反力がいつも同じなら運転しやすい? それ、逆じゃない?

「そういうふうに考えているOEMのエンジニアは結構多いし、お客さんは、ハンドルを切ればクルマが向きを変えるとしか思っていない」

お客さんが何も考えなくてもいいようにするのがOEMの仕事ではなく、少しは考えてもらう要素を残しておくことが仕事なのでは、と思う。スポーツには練習が必要だが自動車の運転に練習は要らないと思われている。それは違う。自動車の運転には練習が必要だ。同時に、目指すべき方向は普遍的なものでもある。

「クルマはタイヤに甘え、ステアリングは人間に甘えている。人間が進路を修正してくれるからステアリング機構は『付いていればいい』とさえ思われている。しかし、自動運転になったらステアリングの操作はクルマ側の仕事になる、その前に、SBWというシステムは人間を適切な領域に保つことが求められる。ステアリング機構がドライバーと切り離されたらクルマはタイヤと向き合わなくてはならないしドライバーとも向き合わなければならない。タイヤをどう動かせばいいのか。人間にどういう操作をしてもらえればいいのか。ここがSBWの課題であり、その先にある自動運転にたどり着く前に考えなければならないテーマだ」

(PHOTO:Shutterstock)

なんのための自動運転なのか。「クルマの運転は苦手」「運転はきらい」なら、運転しないという選択肢がある。移動中に運転以外のことがしたいのなら、その日はタクシーのように「乗せてもらう」方法を選べばいい。日常的に「移動中に運転以外のことがしたい」のなら、クルマ移動そのものを省略できる方法を考えればいい。

「いや、移動中に運転以外のことができればできればタイムパフォーマンス(タイパ)が上がる」

ならば新幹線とタクシーでいいのでは? 

クルマの運転席に座って運転以外のことをしたいと考える理由が私には理解できないし、それだけのために車両コストが上がるとしたらコストパフォーマンス(コスパ)は下がる。自動運手を可能にするための装備は、現時点ではかなりの値段だ。

SBWは現在のEPSの少なくとも5倍以上のコストになるはずだ。BBW=ブレーキ・バイ・ワイヤーはブレーキ・キャリパーに摩擦材を押し付ける機構にボールねじを使う例が多いが、これも現在の油圧ブレーキ比で3倍にはなる。TBWもはじめのうちは高かった。安くなったのは普及しはじめてからだ。

センサー類はレーダー、カメラ、LiDARの併用と仮定すると、そこそこの値段になる。インフラの助けを借りない自動運転ならLiDARは必須だ。これらセンサーだけで20万円か。そして、おそらくはそれ以上の値段になるコンピューターと自動運転AIのようなソフトウェア。これらも値段が高い。

あるOEMの商品企画担当氏は「大雑把に見積もってハードウェアで100万円」と言った。ソフトウェアは「いくらになるかわからない」と言う。コストゼロで無限に複製できるソフトウェアなのに、なんでこんなに高いのだろうと日ごろ感じるのはPC用のソフトだ。バグだらけなのに高い。

機械モノは下に見られソフトウェアが高いという状況はアメリカが作り出した。だからGAFAのような企業が生まれた。私はそう見ている。自動車や家電製品を日本が安く作るようになり、アメリカは産業構造内での人の配置が自然と変わった。しかし、巨大IT企業は社会への還元率が製造業に比べて著しく低い。ソフトウェア偏重の世の中になると、この状況はますます進むだろう。

一時期、自動車は家電や半導体の業界から「何でも積めるプラットフォーム」と呼ばれた。結局、自動車が高くなった理由はコンピューターとソフトウェアであり、「走る」「曲がる」「止まる」の機能はむしろ停滞している。もう「走り」にお金をかけようなどというOEMは極めて少数派だ。

「クルマの価値はソフトウェアで決まる」などと言われるようになった。しかし、その最大の広告塔だったはずの自動運転は、なかなか実現しない。なぜだろうか。私は「コストがかかる割には得られるものが少ないから」ではないかと思う。開発する側の肌感としてコスパが悪い。

ふたたび自動運転への期待が盛り上がるのはいつだろうか。

著者
牧野 茂雄
テクニカルライター

1958年東京生まれ。新聞記者、雑誌編集長を経てフリーに。技術解説から企業経営、行政まで幅広く自動車産業界を取材してきた。中国やシンガポールなどの海外媒体にも寄稿。オーディオ誌「ステレオ時代」主筆としとてオーディオ・音楽関係の執筆にも携わる。

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