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韓国の研究者が語った「電気自動車三国志」| 牧野茂雄の「車交箪笥」しゃこうだんす vol.18

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韓国の研究者が語った「電気自動車三国志」| 牧野茂雄の「車交箪笥」しゃこうだんす vol.18
深センのCentral China High-Tech FairにおけるBYDブース、2009年の様子(PHOTO:Wikimedia)

長くやってりゃ情報ルートと人脈は築ける。
もうかれこれ40年以上、自動車を取材してきたから、
結構なネットワークを持つことができた。
あちこち掘って、あちこち探ったネタを、
私個人の分析と私の価値観でお届けします。
TEXT:牧野茂雄(Shigeo MAKINO)

世の中には「ネット研究者」が多い。博士だったり教授だったり、立派な肩書を持っているのに、インターネット上に転がっている写真や資料をうまくつなぎ合わせて「自分の世界観」を語る人たちだ。我われジャーナリストは、むしろその対極にいる。自分の足で現場を歩き、見聞きし、ひとりでも多くの人に会って話を訊く。その行為で「自分の世界観」を修正しながら「いま、世の中で起きていること」は「だいたいこんな感じだろう」という仮説を立て、その仮説を証明するために、また現場を歩く。私が会った研究者・朴 正圭(パク・ジョンギュ)さんも、そういうタイプの人だった。

MFi(モーターファン・イラストレーテッド)創刊時から歯車の知恵を本誌スタッフにご教授戴いている京都大学名誉教授の久保愛三博士が、私を朴 正圭さんに引き合わせてくださった。朴さんは漢陽大学機械工学科卒で、博士号を京都大学で取得した人だ。日本語は上手い。現在はKAIST技術経営専門大学院教授である。

まず互いに意気投合したのはこんな話だった。敬語省略で記す。

「牧野さん、BYDオートをどう思う?」
「決断できる経営者が、分野ごとのエキスパートの意見を聞きながら、必要なところには金を遣い、つねに先を見ながら自分で決断し、成果を上げている。その成果が人を惹き付け、多様な人材が集まる。乱暴な部分もあるが、お行儀の良さだけでビジネスはできない。いい会社だと思う」

朴さんは、さらにこう尋ねてきた。「中にいる人たちは死に物狂いで仕事をしている。その様子を実際に何度も見た。牧野さんはBYDオートを取材したことある?」と。

「国営だった西安泰川汽車を買収して比亜迪汽車になった2年後、2005年のオートチャイナにゴミみたいな概念車(コンセプトカー)を展示していたときは、最初のうちは英語で私と話をしていたBYDオートのエンジニアが、どうも私が言ったことが気に入らなかったらしく、中国語で何かいいながら逃げて行った。広州ショーを取材した際にBYDオートを訪問したが、ビデオを見せられて終わった。創業者の王傅福氏には2008年に初めて会った」

BYDオート初の市販車・Flyer(2005年)。Qinchuan社の「Flyer」をリバッジした車両。(PHOTO:Wikimedia)
BYDオートとしての初開発車・F3(2005年)。1.5Lあるいは1.6Lの4気筒ガソリン車だった。(PHOTO:BYD)
著者
牧野 茂雄
テクニカルライター

1958年東京生まれ。新聞記者、雑誌編集長を経てフリーに。技術解説から企業経営、行政まで幅広く自動車産業界を取材してきた。中国やシンガポールなどの海外媒体にも寄稿。オーディオ誌「ステレオ時代」主筆としとてオーディオ・音楽関係の執筆にも携わる。

牧野茂雄の「車交箪笥」しゃこうだんす

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