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私のiPadマウント製作記

福野礼一郎のTOKYO中古車研究所™ 第156回

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私のiPadマウント製作記

「TOKYO中古車研究所」などと大袈裟なタイトルですが、私=福野礼一郎が1993年から2012年まで自動車雑誌3誌で152回連載し、多くの方に読んでいただいた連載記事のタイトルの復刻です。Topper編集部の依頼で11年ぶりに連載再開しますが、内容的には単なる「私的ブログ」です。Topperのコンテンツの中では一人浮いてると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
TEXT&PHOTO:福野礼一郎(Rei-ichiro FUKUNO)

(本文文字量6500字) *通常は雑誌1ページで2000〜2500字

初めて自動車雑誌に原稿を書かせてもらったのは1979年の「モーターファン」でしたから、かれこれ44年もこんな仕事をやってるわけですが、前半の20世紀に乗ったクルマの中の最大の衝撃がマクラーレンF1だったとするなら、後半の21世紀もっとも印象に残っているクルマはやはりテスラ・モデルSです。

両車とも天才的エンジニアの独善で設計が進められたクルマでした。ゴードン・マレーはエンジニア人生の集大成としてマクラーレンF1のコンセプトをそのまま復活させましたが(→GMT T50)、テスラの技術担当副社長でモデルSのチーフエンジニアだったピーター・ローリンソンは、モデルSを作るととっとと退社し、ルシード・エアを創設しました。私に言わせるとテスラの真の傑作はローリンソンが作ったモデルSの前期型の前後モーター車だけです。

マクラーレンF1の天才性はセンターステアリング3人乗りのパッケージですが、テスラ・モデルSの天才性はRRモーター駆動+超高速トラクション制御による発進加速の痛烈なジャーク、低重心+超高横曲げ剛性による低中速の安定感とハンドリング、そしてもうひとつが縦型の液晶集約型インターフェイスでした。モデルSに乗って使って「スイッチとは手探り操作性のある物理スイッチであるべし」という長年の信念が揺らぎました。

著者
福野礼一郎
自動車評論家

東京都生まれ。自動車評論家。自動車の特質を慣例や風評に頼らず、材質や構造から冷静に分析し論評。自動車に限らない機械に対する旺盛な知識欲が緻密な取材を呼び、積み重ねてきた経験と相乗し、独自の世界を築くに至っている。著書は『クルマはかくして作られる』シリーズ(二玄社、カーグラフィック)、『スポーツカー論』『人とものの讃歌』(三栄)など多数。

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