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かつてEVの道を切り拓いた日本は再び世界をリードできるか

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かつてEVの道を切り拓いた日本は再び世界をリードできるか

現在、欧米中のEV主要先進諸国ではEVの販売台数が急速に拡大している。

2022年の数字で恐縮だが、新車販売に占めるBEV、PHEVの割合は、アメリカでは約8%、ヨーロッパは北欧勢が極めて高い数字を叩き出している。ノルウェーは約90%と脅威の数字だ。EV市場においてアジアを代表する中国では約30%だった。

その一方、日本市場はどうだろう。残念ながらそのEV化率はいまだに5%に満たない。

しかし2010年台前半のEV黎明期では日産が発売したEVであるリーフの普及も相まって、むしろEV領域で世界をリードしていた時期もあった。ところが現在では完全に主要先進諸国のEV化率の後塵を拝してしまう結果に。かつてはEV先進国と言われ、世界をリードしていた日本だが今やEV後進国と言われても反論の余地がない。

日本の市場を眺めてみる。

ILLUSTRATION:Shutterstock

世界初の量産EVを発売したのは日本メーカーだった

世界で初めて量産されたEVをご存じだろうか。1947年まで遡る。

実際に発売がスタートした世界初の量産EVは「たま電気自動車」だ。開発したのはプリンス自動車工業(日産自動車の前身)の前身である東京電気自動車。世界初の量産EVを開発したのは、日本メーカー勢だったのだ。

1947年に発売された4人乗りのたま電気自動車の初期型は、1948年に商工省(現在の経済産業省)が主催した第1回電気自動車性能試験において、航続距離96㎞、最高速度35㎞/hという、当時のカタログ値以上の性能を発揮して高い評価を受けた。その後、1949年には5人乗りに居住性を高め、航続距離も200㎞、最高速度も55㎞/hにアップさせるなど、EV性能を向上させた。

たま電気自動車が誕生した時代、日本は終戦直後。そのため物資や食糧だけでなく、深刻な石油不足に見舞われていた。

家電製品がまだほとんどなく、工場も破壊されていたために大口の電力需要者も少なく、電力供給が余剰気味であったこともあり、日本政府がEVの生産を推奨していた時期でもあった。

近年になって急速に研究開発が開始されたように見えるEVだが、実は70年以上も前から基礎研究が着実に行われていたのだ。

リーフの登場

たま電気自動車は戦後の石油不足が解消すると、台頭してきた利便性の高い内燃機関車に席を譲る。結果として、EV開発は一旦終了を迎える。

しかし、これまで行われてきたEVに関する基礎研究を継続し、21世紀にEV開発を受け継いだ企業がある。たま電気自動車を開発した企業の後進である日産自動車だった。

2010年、長きにわたるEV研究が実を結び、日産は世界初の本格量産EVと銘打ってリーフを発売。グローバルで大々的に展開したリーフは発売を本格化させた2011年から2014年までの4年間、世界で最も売れたEVとして頂点に君臨した。リーフが登場する少し前である2009年、三菱自動車も量産EV、アイ・ミーブの発売をスタートしていた。

EV黎明期において日本メーカー勢はEVで世界をリードしていたように思える。自動車大国として、次世代車両という分野でもまさにイノベーター的役割を担っていた。

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