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新クルマの教室:ホンダNSX NA1型(2)|自動車設計者 X 福野礼一郎 [座談] 過去日本車の反省と再検証 

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新クルマの教室:ホンダNSX NA1型(2)|自動車設計者 X 福野礼一郎 [座談] 過去日本車の反省と再検証 

本稿は本職の自動車設計者と一緒に過去旧車・過去名車を再検証する座談記事です。決して「過去の旧車をとりあげて現在の技術を背景に上から目線でけなす」などという意図のものではありません。根底にある意識は「反省」です。設計者が匿名なのは各意見に対する読者の皆様の予断を廃し、講師ご自身も誰にも忖度せず自社製品でも他社製品でも褒めるものは褒める、指摘するものは指摘できる、その自由度の確保のためです。よろしくお願いいたします。
(このコンテンツは著者の希望でTOPPERの「総合人気ランキング」には反映されません)

座談出席者

自動車設計者
 国内自動車メーカーA社OB
 元車両開発責任者

シャシ設計者
 国内自動車メーカーB社OB
 元車両開発部署所属

エンジン設計者
 国内自動車メーカーC社勤務
 エンジン設計部署所属

ホンダNSX(1990年9月13日発表・発売 初代NA1型)
⬛︎ 全長×全幅×全高:4430×1810×1170mm ホイルベース:2530mm トレッド:1510mm/1530mm カタログ車重:5速MT 1350kg 4速AT 1390kg 燃料タンク容量:70ℓ 最小回転半径:5.8m MFRTテスト時の装着タイヤ:ヨコハマ アドバンA-022 前輪205/50ZR15(空気圧指定2.3kgf/c㎡) 後輪225/50ZR16(空気圧指定2.8kgf/c㎡) 
⬛︎ 最高出力:5速MT車 280PS/7300rpm 最大トルク30.0kgm/5400rpm 4速AT車 260PS/6800rpm 最大トルク30.0kgm/5400rpm (いずれもnet表記)
⬛︎ 5速MTギヤ比:①3.071 ②1.952 ③1.400 ④1.033 ⑤0.771 最終減速比4.062 4速ATギヤ比①2.611 ②1.466 ③1.025 ④0.777 最終減速比4.066 エンジン1000rpmあたり速度(5速MT車):①9.2km/h ②14.5km/h ③20.2km/h ④27.4km/h ⑤36.7km/h
⬛︎ MFRTによる実測車重:1361.5kg(空車時の前軸/後軸重量は未計測) 試験時車両重量:1530kg(2名乗車 前軸650kg/後軸870kg、前後重量配分42.8%:57.2%)
⬛︎ MFRTによる実測駆動輪出力:未計測
⬛︎ MFRTによる実測性能 5MT車:0-100km/h 5.29秒 0-400m 13.31秒  最高速度:未計測
⬛︎ MFRTによる車内騒音計測値:40km/h時66.0dB/A、60km/h時67.0dB/A、100km/h時71.5dB/A
⬛︎ 発表当時の販売価格(1990年9月発売時)800.3万円
⬛︎ 生産:1990~2004年 高見沢工場、2004~2005年 鈴鹿工場TDライン
⬛︎ NA1/NA2型総生産台数:1万9310台(平均生産台数約105台/月) 国内販売台数:7494台(183ヶ月平均約41台/月) 北米販売台数:9739台(平均約53台/月) 欧州販売台数:1804台(平均約9.9台/月)

(本文文字量12300字) *通常は雑誌1ページで2000〜2500字

前回のおさらい

ー 本田技研工業株式会社が1990年9月に発表・発売し、2005年まで作られ、いまでも人気の高い初代ホンダNSXを取り上げています。本稿は第2回目です。座談の資料として初代NSXのLPL(ラージ・プロジェクト・リーダー/のち同車RAD=開発統括責任者)だった上原 繁さんがお書きになった「ホンダNSX(三樹書房刊)」を参考にさせていただいています。またホンダの企業サイトの記述も参考にしています。

(https://global.honda/jp/pressroom/products/auto/nsx/nsx_1990-09-13/)

参考文献:三木書房刊 上原 繁著「ホンダNSX 特別限定版―ホンダ初のミッドシップ・スポーツカー開発史」

ー 前回はNSXの開発の経緯についておもにコンセプトの側面から座談しました。NSXは当時としては画期的なオールアルミボディ/シャシ構造を採用、これによってその後の世界のスポーツカーのトレンドを10年以上も先取りしていた一方で、「レジェンド用FF横置きV6パワートレーン流用」「AT+電動PS仕様車設定」「グラスコクピット+ロングホイールベース」「リヤの大型トランク設定」、そして今回取り上げる「フロントサスのコンプライアンスピボット」など、当時の認識ではスペシャルティカー的といえる基本設計が各所に垣間見えており、「スーパースポーツ」を標榜するこのクルマのそこが当時からのコンセプトに関する大きな疑問点でした。しかし上原さんの著述によって、車重1tの2ℓ200PSミドシップカーというスポーツカーの企画開発をすすめていく過程で、同時期にアキュラ用スポーツカーの企画を練っていたアメリカのホンダ・リサーチ・オブ・アメリカ(HRA)のプロジェクト→「キャノピースタイルでレジェンド用V6横置きミドシップの4WD車」と、ホンダ・リサーチ・オブ・ヨーロッパ(HRE)のプロジェクト→「同V6横置きミドシップの2輪駆動AT+PSのオープンカー」との企画統合を迫られ、結果として各国要求の折衷案とせざるを得なかった苦しい開発であったことが浮き彫りになりました。

ー もう一度まとめますと、ホンダがミドシップ車のノウハウを蓄積するようになった発端は、1984年1月に社内で開発をスタートした、3気筒900cc/4気筒1200ccのエンジンを80度横倒しにして初代シティ・サイズの車体のミドシップ・アンダーフロアに搭載する「CQ」というプロジェクト。結果的に「FFに比べてメリットに乏しい」ということで計画は中止になりますが、このプロジェクトで初めて後輪駆動車を設計した開発陣は、サスのアライメント変化特性、前後ロール剛性の設定、前後異径タイヤの採用、リヤサスのトー変化の規制、横風安定性への空力と駆動力での対策、エンジンの冷却、車体の重量増加問題など、ミドシップ車に関するいろいろなノウハウを蓄積することができました。

ー 1985年2月、今度はCR-Xをベースに1.2ℓ直4エンジンをミドに横倒しにして積んだ「CQ2」というスポーツカーを設計・試作・開発。スペースのないリヤのために、ハブキャリアと一体のラジアスアームの車体側ピボットより前方にトーコントロールリンクをつけた「トラペゾイダルリンク」というサスを開発、またトラクションコントロール、4WS(4輪操舵機構)、CQで試した前後異径タイヤなども採用します。リヤサスに関してはのちに4代目シビック(「グランドシビック」1987~1991)に、また4WSについても1987年4月発売の3代目プレリュードBA4型が搭載しました。

ー 1985年の初夏、上原さんのチームはCQ2と一時期並行しながら、スポーツカー「AA」の開発を開始しました。エンジンは200psの2ℓ直4の横倒し搭載、目標車重を「1t」と定め、5.0kg/PSを実現して加速と運動性でポルシェ/フェラーリに対抗するという画期的構想でした。その実現のためのアイディアとして、車体設計部門が開発・試作を進めていた「モノコックの総アルミ化」という案が浮上します。

ー しかし1985年9月にアメリカHRAで行った会議では、HRAもHREもこのAA案に猛反対。アルミモノコックに関してもコストとリペアビリティの観点からHRAが断固拒絶します。結局欧米支社に押し切られる形でエンジンはレジェンド用横置きV6パワートレーンを採用、ただしその後の粘り強い説得で、アルミモノコックはなんとか導入に持ち込んだそうです。

エンジン設計者 上原さんはレジェンド用横置きV6の採用について「いろいろなレイアウトを検討したが、結論として横置き以外ではNSXは作れなかった(著述骨子)」と述懐しておられますね。もちろんあのNSXは横置きミドのクルマですから「横置きでないとNSXは作れなかった」といえばそれは当然なんですが(笑)、福野さんがいつも書いてるようにFF用ユニット流用ならエンジンと後車軸の位置関係は切り離せないので、後輪がエンジンを連れ回しますから、ホイールベースをどう設定してどこにパワーユニットを積んでも、クルマは必ずリヤヘビーになります。「横置きならホイールベースを100mm短くできる」と上原さんは主張していますが、その一方でリヤオーバーハングを伸ばしてゴルフバッグが詰める大型トランクを設置したりしてる。どう考えてもレジェンド用横置きV6の採用はスポーツカー・パッケージの追求の帰結というよりは、日米欧のおえらいさんからの要請・要求と考えるべきでしょう。レジェンドV6なら量産効果でコストが安いし、アキュラチャンネルにおけるメンテナンス体制の構築も楽だし、そのままのスペックなら自動的に排ガスをクリヤできてATもオマケについてきますから。

ー 上原さんがAAの企画のときに掲げた「快適F1」というスローガンも、日欧米企画統合後は、三律背反実現のための苦しい合言葉になったという印象ですね。当時上原さんにお話をうかがったときも、一言「大変だったんですよ」とだけおっしゃっていました。

ー 1987年9月に「日欧米3ヶ国案3個イチ企画」としてNSXの開発に正式にGOサインが出て、試作を重ね、89年4月にニュルブルクリンクに試作車を持ち込みます。しかしここからの開発の成果はシャシもエンジンも本当に目覚ましいものがあったと思います。筆者が発売直前の夏にドイツに招かれてアウトバーンとニュルブルクリンク北コースで乗ったときは、その1年前に栃木のプルービンググラウンドで行ったプロトタイプ試乗会のときとは別のクルマのように生まれ変わっていました。アウトバーンとニュルの走りを体験してからは、たとえどのようなパッケージ/メカニズムのクルマであろうと、NSXが第1級のスポーツカーであることは認めざるを得なくなりました。個人的に好きだったかといわれるとスタイリングなども含めて「・・・」でしたが、走りの良さは認めました。とくにタイプR以降ですね。

シャシ設計者 1年間ニュルを走っただけでは基本設計はかえられませんから、フロントサスペンションを見れば「アメリカ向けの快適でオシャレなスペシャルティカー」を狙った設計だったことは明らかです。タイプRのようなスーパースポーツカーを最初から目指して開発の初期からニュルブルクリンクに通っていたら、まったく別のレイアウトと設計のクルマになっていたでしょう。それは確かだと思います。

著者
福野礼一郎
自動車評論家

東京都生まれ。自動車評論家。自動車の特質を慣例や風評に頼らず、材質や構造から冷静に分析し論評。自動車に限らない機械に対する旺盛な知識欲が緻密な取材を呼び、積み重ねてきた経験と相乗し、独自の世界を築くに至っている。著書は『クルマはかくして作られる』シリーズ(二玄社、カーグラフィック)、『スポーツカー論』『人とものの讃歌』(三栄)など多数。

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